私は40代の男性です。
私が宇野昌磨選手を凄いなと思ったのは2014-15年シーズン以降、選手として爆発的な成長をみせたことからです。
宇野選手はこの年初めてトリプルアクセルを成功させました。
その後は毎年のように新しい4回転ジャンプを習得し、ぐんぐん実力を伸ばしたのは周知のとおり。
厳しいコーチも認めた、宇野昌磨選手は努力の天才!
ルックスの愛らしさの下にあるものすごい努力と男気に感心しました。
宇野昌磨選手はもともと小さい頃から才能のあった選手ですが、特に16歳を過ぎてものすごく努力し、成長したことが一流アスリートとしての一番の魅力だと思います。
多くの名スケーターを育てた山田満知子コーチの門下生ですが、弟子たちに対して比較的コメントが辛口の山田コーチが、数年前のあるTV番組で宇野選手のことを
「本当に負けず嫌いの努力家」
とほめていて、「よっぽど凄いんだな」と感心したのを覚えています。
もちろん甘いルックスは小学生のころから今も変わりません。
最近はさすがに大人っぽくはなりましたが、世界のトップスケーターに上り詰めた今も、昔から変わらないはにかんだ笑顔や、まじめで素朴な話しぶりには大変好感が持てます。
宇野昌磨と羽生結弦は仲が良く、あだ名で呼びあう間柄
彼の目標でもある羽生結弦選手も大変可愛がっていて、先輩にもかかわらず、宇野選手は羽生選手のことをいつも
「ユヅくん、ユヅくん」
と呼んで、ニコニコと話しかけ、羽生選手も満面の笑顔で応じています。
日本男子チームの仲の良さを感じさせてとてもいい光景だと思います。
高橋大輔らの演技を「まあまあ」と言える、肝の座った宇野昌磨
宇野昌磨選手のことを最初に知ったのは、ノービスクラスで活躍を始めた小学生のころでした。
当時はちょうど日本の男子フィギュアの隆盛期で、高橋大輔選手や織田信成選手、小塚崇彦選手らが世界のトップでしのぎを削っていました。
しかしどの選手も円熟期を迎えたころ。
彼らが引退後の男子フィギュア界を牽引する、才能豊かな若手が早く出てこないだろうかと期待して見ていたころです。
宇野選手の活躍には、一足早く頭角を現した羽生選手とともに、将来がとても楽しみなジュニア選手だなと感じていました。
実力だけでなく、
「なかなか度胸も据わっているな」
と頼もしく感じたのは、宇野選手が中学1年生のころでしたか、あるアイスショーにジュニアの代表として出演したときのことです。
そこでは、メインの出演者として高橋大輔さんらトップ選手たちも出場していました。
順番に演技を終え、高橋選手の出番が終了したとき。アナウンサーのインタビュアーが宇野選手に
「憧れの高橋選手の演技、どう思った?」
と聞いたところ、彼の口から出たのは
「んー、まあまあかな」
と完全に「上から目線」のコメント。
これを聞いた高橋選手も思わず爆笑して転び、会場もドッと沸きました。
その後、主に全日本選手権の演技をときおり見る機会がありましたが、期待に反して中学生の間は、宇野選手は正直、少し伸び悩みました。
羽生選手が次々と難易度の高いジャンプをものにし、男子フィギュアは世界的にも完全に「4回転ジャンプ全盛」時代に変わろうとしていたころです。
トップの男子選手で、4回転ジャンプを跳ばない選手はもういない状況になっていました。
しかし宇野選手はこのころ、トリプルアクセルさえなかなか成功せず、試合でも苦労している様子でした。
体が比較的小さいこともあり
「うーむ、なかなか体力的に厳しいのだろうか…」
とファンとしても不安に思いながら見る日々でした。
宇野昌磨にとって羽生結弦とは仲が良いだけでなく、完全なライバル
ところが、2014-15年のシーズン。
高校に入った宇野選手はついに何かをつかんだのでしょうか。
その年の全日本ジュニア選手権で初めて、あんなに苦労していたトリプルアクセルをきれいにクリアしたどころか、そのときから毎年毎年どんどん難しい4回転ジャンプを身につけていきました。
その成長ぶりは超人的に思われるほどで、表現力にもますます磨きがかかり、試合の得点もうなぎ登りに上がりました。
オリンピックシーズンの今では、一試合で300点台も珍しくなくなりました。
もはや世界でも5本の指に入る超一流アスリートだといえます。
その成長の背後には
「なにがなんでもユヅくんに勝ちたい」
という強烈なライバル心や反骨心があったと聞きます。
その努力ぶりは本当に感心に値するものです。
どのスポーツでも同じかもしれませんが、やはり強いライバルの存在は自分をも非常に鍛えて伸ばすものなのだなと感じます。
その意味で、コーチや練習場所は違っても、ジュニア時代からお互いを認め合い、仲のいい羽生選手の存在は彼にとって非常に大きかったことでしょう。
1年ほど前まではまだまだ、宇野選手にとって、羽生選手の背中はやや霞がかかっている状態だといえました。
しかし、現在はほぼ肩を並べたといっても過言ではないでしょう。
かつてジュニア時代に呼ばれた「高橋大輔2世」のニックネームも、もはやなくなるときが近いかもしれません。
いよいよ初めて踏む平昌オリンピックの晴れ舞台。
宇野選手の才能が頂点で花開くことを期待してやみません。